絵本とむかしばなし

小学校で絵本の読み聞かせや昔話のストーリーテリングをしています。楽しいお話、心温まるお話をいろいろご紹介していこうと思います。

『ケニーのまど』

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センダックはじめての絵本

のち絵本作家として大成するセンダックの芽がつまった絵本です。

            

読み聞かせ目安  中学年  ひとり読み向け

あらすじ

ケニーは、夢の途中で目が覚めた。

みていたのは庭の夢。

真っ白な花が咲いた木があって、雄鶏と汽車があって、左には太陽が、右には月が出ている庭。

雄鶏が7つのなぞなぞを出して、答えられたらこの庭に住んでいいという夢。

でも、答える前に目が覚めちゃった。

 

「あんなにわに すめたら いいなあ。」

 

ケニーは答え探しをはじめた。

1つ目のなぞなぞは、

 

「だれかに だめと いわれても こくばんに えをかくには どうしたら いいか?」

 

ケニーは、黒板に絵を描こうとした。

すると・・・くまのぬいぐるみのバッキィが、

 

「だめ! きょうは こくばんに えをかいちゃ だめ!」

 

という。

バッキィは、一晩中ベッドの下においてけぼりにされたのを怒っているのだ。

ケニーは、仲直りの方法を考えた。

 

2つ目は、

 

「だれかさんだけの やぎって なんだ?」

 

ケニーは、お母さんに置手紙をして、やぎを探しにスイスへ旅立った。

山のてっぺんで、ケニーだけのやぎに出会ったけれど、話しているうちに、どうにも自分のやぎではなように思われた。

 

そのあとも、

 

「3.やねのうえの うまは みえるか?」

「4. やくそくを やぶっても とりかえしが つくか?」

「5. ききいっぱつって なんだ?」

「6. なかも そとも みえるもの なんだ?」

「7. ねがいごとを してから きもちが かわること ないか?」

 

というなぞの答えを探していく。

そしてとうとう、それぞれのなぞに、ケニーなりの答えをみつけると、あの雄鶏がやってきた。

雄鶏は、願いをかなえてくれるといったが・・・ケニーの願いは、あの夢の庭に住むことではなく、馬1頭と友だちが泊まれる特別室がついた船が欲しいというものに変わっていた・・・。

 

読んでみて・・・

モーリス・センダックのはじめての絵本です。

センダックはそれまで、フランスの作家マルセル・エイメの『おにごっこ物語』(1934~1946)など、他の作家の絵本の挿絵を描いていましたが、自分で絵も文章も描いて作りあげたのはこの『ケニーのまど』が最初になります。

 

よく処女作には、作家の資質の全てが現れているといわれますが、センダックの『ケニーのまど』もしかり。

揺れ動く子どもの心の中を、詩的に夢幻的に神秘的に描き上げる。

子どもの空想、願望、不思議なことへの憧れ、驚き、楽しさ、その裏側にある寂しさや不安。子どもの細やかな心の動きを描こうとする思いの芽ばえや意気込みが、ひしひしと伝わってきます。

 

ケニーが夢にみた庭は、理想の庭。

大人からああしなさいこうしなさいといわれず、自由に好きなことができるところ。迷いや葛藤のないところ。のち『かいじゅうたちのいるところ』(1975.12.5 冨山房)や『とおいところへいきたいな』(1978.11.24 冨山房)で描かれることになる子どもの理想郷です。

masapn.hatenablog.com

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この庭に住むために、ケニーは7つの問いに答えていくわけですが、この答え探しの旅は、ケニーの心の成長の旅になっています。

 

まず最初の、「だれかに だめと いわれても こくばんに えをかくには どうしたら いいか?」という問いでは、うっかり一晩中ベッドの下においてけぼりにしてしまったくまのバッキィに、絵を描いちゃだめ!といわれ、ケニーもはじめのうちは憤慨し、チョークを床に叩きつけたりしますが、ナマリの兵隊に諭され、バッキーと仲直り。黒板に絵を描くことができるようになります。

 

次のやぎ探しでは、わざわざアメリカからスイスまでいってw、自分のやぎをみつけたと思いますが、やぎと話をしているうちに、どうやら自分のやぎではないらしい。やぎにはやぎの、ケニーにはケニーの価値観があり、同一ではないということに気付いていきます。

 

4つめの問い「やくそくを やぶっても とりかえしが つくか?」では、ナマリの兵隊との約束を破って、ひどい仕打ちをしてしまいますが、最後には自分の心の殻を破って、非を認められようになっていきます。

 

7つのなぞなぞの答え探しは、ケニーが自分の心と向き合う旅。

自分の心と向き合って殻を破り、少しずつ外の世界を感じ、つながりをもっていく旅なのです。

 

6番目の、「なかも そとも みえるもの なんだ?」で、ケニーの出した答えは「ぼくのまど」。

家の中でくまのバッキィや犬のベービィ、ナマリの兵隊とだけ遊んでいたケニーが、窓の外に目を向け、降ってくる雪や雪を追いかける子どもたち、向かいの家の窓の男の人や赤ちゃんなどの存在を目にします。そして窓の下から友達に呼ばれて、ケニーは家の中のおもちゃを置いて、外の世界へ飛び出していきます。

ここではケニーの、子どもの、中と外をつなぐものとして、象徴的に「窓」が描かれます。(向かいの男の人の抱く赤ちゃんは、「そとをごらんよ、そとを!」といわれても、まだ外は見ず、男の人の顔ばかりみています。)

 

各問に、自分なりの答えを見つけ、その過程で自分の殻を少しずつ破り、心を開き、外の世界とのつながりを持ちはじめたケニーは、最後にはもう、あの夢の庭に住みたいとは思わなくなります。

 

人から指図されることのない自由な場所。

迷いや葛藤のない理想郷。

 

夢にみた、とてもすてきな庭だったけれど、誰かと心を通わせるには、自分の思いのままにすることに制限を加え、迷いや葛藤も全部引き受けなければならないことを知ったケニーには、もうあの庭はいらなくなりました。

 

7つ目の問いは「ねがいごとを してから きもちが かわること ないか?」

 

誰かと関わり、理解し合うこと、心を開くことを知ったケニーの願いは変わり、ケニーが欲したものは、世界中を駆け回ることのできる黒い馬と、友達用の特別室のある船に変わります。

 

お話の終わりは、ケニーが黒馬に跨り、海を臨んでいます。

こらからまた、さらにケニーの心の旅がはじまる期待を持たせる、余韻のある終わり方です。

ファンタジーの夢をとおして、子どもの心の動きや成長を描く、センダックの絵本作りのはじまりにも、ふさわしい終わり方だなと思います。

 

この絵本を読んでいると、子どもの空想やひとり遊びが、単なる空想ではなく、イマジネーションをとおして現実を認識していくことや、ファンタジーの世界で自己解放すること。そういったことを何度も繰り返しながら、心を育てていく行為なのだということに気付かされます。

空想は単なるひとり遊びではなく、非常に複雑で重層的な内的体験。

こういった内的体験の積み重ねをへてはじめて、自己や他者を理解する感情を育てることができるんだなと思いました。

 

センダックの処女作『ケニーのまど』。

センダックの描きたいことがいっぱい詰まった、はじめての絵本です。

センダックの資質と、のちの大成を十分に感じさせる1冊ですが、はじめての絵本なだけに、描きたいことが詰め込まれすぎて、いっぱいいっぱい。焦点が定まりかねない。という感があります。

テクストも冗長で筋が捉えにくく、絵もまだまだ線が細く、未完成な感じは否めません。

 

でも、ここからはじまり、さまざまな要素を洗練していって、のちの絵本たちに受け継がれ、結実していったんだなということがよくわかる1冊です。

 

今回ご紹介した絵本は『ケニーのまど』

モーリス・センダック作 神宮輝夫訳

1975.12.5  冨山房  でした。

ケニーのまど

モーリス・センダック/じんぐうてるお 冨山房 1975年12月05日頃
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