自分探しの旅
何かを探して旅立つ小さいロバのお話。
読み聞かせ目安 高学年 20分・ひとり読み向け
あらすじ
緑の壁に緑の床、緑の屋根。バナナの木。それしかない世界に、小さいロバは住んでいました。
明るい緑の世界で、かあさんロバと暮らすのは、とても楽しいことでしたが、小さいロバは、もっと他の世界のことが知りたくなります。
そうして・・・
「ぼくは、何をしたいのか、わからない」
「でも、ぼくは、何かしたいんだ。バナナのほかに、何かしりたいんだ。ぼくは、何かをさがしにいこう」
と、かあさんロバの元を離れて、ひとり歩いていきました。
小さいロバは、自分の耳が指した方へ向かって歩くことにしました。
耳が前を指したので、前へ前へ歩いていくと、川がありました。
生まれて初めての川を、たくさんの牛や鶏と一緒に舟に乗って下っていくと、チョコレートの町に着きました。
でも、町の人は誰も宿無しロバにかまってくれません。
小さいロバは、先へ歩いていきました。
途中で男の人に出会って、金山へ連れていかれることになりました。
「ぼくのさがしているのは、金かもしれない」
次から次に重なる高い山を越えていきました。
バナナの木も、ココアの豆も、茶色い川もなく、寒くて青い山でした。
耳は後ろを指しましたが、男の人が怒鳴るので、前へ進みました。
金山に着いてみると、辺りは一面金だらけ。
金の粉が飛び、金の味がして、金の臭いがしました。
小さいロバは、背中に砂金の袋を乗せて運ぶ仕事をしました。
小さいロバの体は丈夫だったので、仕事はさほど辛くありませんでしたが、どうやら金もロバの探しているものではなく、小さいロバは、誰も見ていない隙に、金山を出ていきました。
その後ロバは、金色の教会や大統領の所へもいきました。
賑やかな市場や、インディアンが住むところへもいきました。
それでも、宿無しロバの欲しいものには出会えません。
かあさんのいるバナナの国へ帰ろうかと思っていると・・・
トウモロコシをいっぱい背負った小さな男の子に出会いました。
ロバは、男の子のトウモロコシを運んでやりました。
それから一緒に男の子の家へ。
すると・・・
「宿なしロバかね」
お父さんお母さんに問われた男の子は
「宿なしじゃないさ。これ、ぼくのロバだよ」
と答えました。
小さいロバは、嬉しくなりました。
「ぼくが、さがしていたのは、これだ!
だれかのロバになることなんだ。このことだ!」
読んでみて・・・
前回ご紹介した『ツバメの歌』の後半に収められているお話です。
同じくレオ・ポリティによる絵に、こちらはアン・ノーラン・クラークが文を書いたもの。「岩波の子どもの本」には「ツバメの歌」と一緒に、1冊に押し込められていますが、ひとつのお話、1冊の絵本として扱うのに十分魅力的なお話です。分冊になっていないのが、とても残念に思い、「ロバの旅」は「ロバの旅」で、別にご紹介することにしました。
何かを求めて旅するロバ。
自分探しの旅という、ちょっと哲学的な内容を、優しくかつ明快でリズミカルな文章で、散文詩のように語っていきます。
親元を離れ、自分とは何かを求めていく小さいロバの姿は、まさに育ちゆく子どもそのもの。何かが何かわからないけれど、自分の耳の指した方(直感や魂の導きみたいなものでしょうか)に従って、前へ前へと進んで行く小さいロバ。時には意(耳)に反して、進まなければならないこともあるけれど、何かを求めて絶えず進んでいきます。
旅路は長く、けっこうな山道もあって、なかなか大変な旅ですが、丈夫で強い体を持った小さいロバはへっちゃらです。いつも明るく、屈託なく、素直に進んでいきます。
でも、なかなか探している何かは見つからず、さすがのロバ君も、疲れ果ててしまいますが、そんな時!
大きなトウモロコシの束と、その下に2本の足が生えた不思議なものに出会います。
トウモロコシの束の下からは、2つの黒い目が小さいロバをみつめています。
やがてトウモロコシの束の中から、2つの手が出て、かわいらしい小さい男の子が現れます!
とても印象的な登場場面です。
何かを求めて、小さいロバと一緒に長い旅をしてきた子どもたちも、読み進めてここで何かな何かな?・・・きっとはっとすることでしょう。
そうして出会った男の子は、宿無しロバを宿無しじゃない、ぼくのロバだといってくれます。そこで小さいロバは、はじめて自分の求めていたものが、何であるのかがわかったのです。
小さいロバが探していたのは、誰かのロバになること。
自分の意思で親元を離れ、自分が何を求めているか旅してきたロバにとって、誰かの所有物になるのが結論というのは・・・、はじめちょっといいのかな?違わないかしら?とも思いましたが、小さいロバと男の子との関係は、飼い主と家畜というのではなく、助け合う仲間、助け合いの関係に心から感謝し、心を通わせ合う間柄を指しているのでしょう。
小さいロバは、大きなトウモロコシの束のしたからチロチロ小さい足が見える不思議なものに出会ったとき、それが自分よりも大きなトウモロコシの束を背負った男の子だとわかったとき、お母さんの元に帰ろうとしていたことも、自分が何かを探しているのですらも、一瞬で忘れ去ってしまっています。
「この子は、くたびれている。このたばは、この子には、おもいのだ」
自分のことをすっかり忘れてしまうほど、その子のことだけを考える。損得なく、心から相手を思い、助け合う。そんな感情に基づいた関係性を持つことこそ、小さいロバが求めていたものだったのです。絵を見ても、小さいロバと男の子の目線は対等で、そしてその目は、この上なく優しく暖かく微笑んでいます。
損得感情なく裨益しあえる間柄。信頼関係。心の通う友を得ること。
長い長い旅をへてようやく小さいロバは、本当に自分にとって心から大事だと思えるものを、みつけることができたのでしょうね。
レオ・ポリティの絵も、暖かく柔らかな色調、とても素朴なタッチになっているのが、純朴で誠実なロバの旅をよく表しているようです。地方色豊かな景色もとても魅力的です。おまけのように、他のお話にくっつけるのでなく、ぜひ1冊の本として、出版していただきたいお話だなと思いました。
今回ご紹介したお話は「ロバの旅」
アン・ノーラン・クラーク文 レオ・ポリティ絵 石井桃子訳
(『ツバメの歌』レオ・ポリティ文・絵 石井桃子訳 1954.12.10 岩波書店 所収)
でした。
ツバメの歌 |
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「ロバの旅」は『ツバメの歌』の後半に収録されています。
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