生命のきらめきと循環
自然に寄り添う語りで、詩情豊かに生命のサイクルを見せてくれる美しい絵本です。
読み聞かせ目安 高学年 ひとり読み向け
あらすじ
2本のモミの木の間から、泉が湧きだし、水は流れ、川となります。
わたしは川と出会い、川に沿って歩みを進めます。
川にはマスの集会所や、ザリガニの隠れ家、かわうその巣があり、見上げれば木の上に、鳥の巣もあります。
そこは、ウナギが遡上し、さまざまなコイの仲間や、ナマズ、トゲウオ、スズキ・・・たくさんの魚たちが暮らす豊かな川です。
この川の流れる谷間の王様は、かわせみ。
空より青く、絹よりもつややかな、このかわせみの名はマルタン。
奥さんはマルチ―ヌといいます。
仲の良い二人は、協力してせっせと巣を作ります。
巣ができると、マルチーヌは卵を産み、温め、マルタンは餌を取りに出かけます。
卵は孵り、8羽のかわいいかわせみは、マルタンの取ってきた餌を食べ、すくすく大きくなって、やがて親元を離れていきます。
それから時は流れ、6年の歳月が過ぎたある日。マルタンの悲しい鳴き声が聞こえてきました。マルタンは病気になってしまったのです。
マルチーヌは、必死に魚を取ってきては、マルタンに与えました、が・・・、マルタンは死んでしまいました。
小川の土手に横たわっているマルタンを見つけたわたしは、マルタンをお墓に埋めてやりました。
「セイクス、セイクス!」
マルチーヌの悲しい声が聞こえました。
ほどなく、マルチーヌも亡くなり、わたしはマルタンのお墓に、マルチーヌも埋めてやりました。
そしてつぎの春。
わたしがまた、小川にやってくると・・・。
川の水は、谷間いっぱいに満ちて、大空をそのきらめく水面に映しながら流れ、草木には、春の花が咲き乱れていました。
そこへ突然、青い翼の2羽の小鳥が現れました!
マルタンとマルチーヌの子どもでしょうか?
わたしにはわかりませんでしたが、命が絶えず受け継がれていくこと、絶えず続いていくということは、しっかりよくわかりました。
かわせみのマルタン | ||||
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読んでみて・・・
以前ご紹介した『りすのパナシ』(リダ・フォシェ文 フェードル・ロジャンコフスキー絵 石井桃子訳 2003.4.20 童話館出版) 、『野うさぎのフルー』(リダ・フォシェ文 フェードル・ロジャンコフスキー絵 石井桃子訳編 2002.12.10 童話館出版)と同じシリーズの絵本です。
『パナシ』と『フルー』が、それぞれ動物を主人公にして、その成長と、動物の目を通した自然が、生き生きと描かれていたのに対し、この『かわせみのマルタン』は、語り手「わたし」が、自然に寄り添って、自然と対等になって、見たままを語っていくというスタイルになっています。
最初は森の中。木の間に沸いた泉が川となって流れ始める場面。
「おまち。ここは、くらすのにいいところだよ」
「だめだめ!どこにも、とまっていられないんです。さあ、はなしてください」
大岩と泉の水の会話から、物語が始まります。
それから、泉の水は流れ、森を抜け、人里離れた谷の真ん中の橋のところで、「わたし」と出会います。
ここで視点は、水から「わたし」へ。
「わたし」は、人間の足跡のない、この美しい谷間を、
「耳をすまし、あたりに目をくばり、川と川岸の、この小さな世界をみださないように、足音をしのばせて」
進んで行きます。
そして、川の流れに寄り添いながら、「わたし」の目に映る、川沿いのさまざまな生きものたちを紹介していきます。
小さな扇形の足跡は、カエルが跳んでいったしるし。
砂の上のなめらかなリボンのような跡は、かわうそがしっぽを引きずった跡。
滝つぼのマスの集会所。
ザリガニの隠れ家。
木の上には、鳥やフクロウの巣があり、そしてサファイアのように光る小さな羽を持つかわせみも!
青い稲光のように現れたかわせみ。
「わたし」は、この空よりも青く、絹よりもつややかな小鳥に魅了され、マルタンと呼んで見つめていきます。
マルタンが、滝から水車小屋までを自分の猟場にし、谷間の王になったこと。
「わたし」よりもずっと、いろんな魚の暮らし方を知っていて、首尾よく漁をしていくこと。
やがて春が来て、マルタンにはマルチーヌという奥さんができ、2羽のつがいは仲睦まじく、巣作りをし、子を育てます。
マルタンとマルチーヌの仲の良さ!
寝るときも、飛ぶときも、漁をするときも、2羽は寄り添い、決して離れることはありません。
子ができれば、それぞれが役割分担をし、協力して子育て。
比翼の鳥、連理の枝とは、まさにこのこと‼
理想の夫婦像です。
これだけ仲睦まじい夫婦なだけに、年老いたあとの別れは、切なく悲しくて・・・。
「セイクス、セイクス!」
マルチーヌの悲しい鳴き声に、胸を打たれます。
かわせみは、つがいの1羽が死ぬと、残りの1羽も、1羽だけでは飛ぶことも食べることもできなくなって、後を追うようにして死んでしまうのだそうです。
マルチーヌもすぐに、マルタンのもとへ。
「わたし」は優しく、寂しさを胸に、2羽を葬ってやります。
でも、季節はめぐり、また次の春。
谷間の水は輝き、草花は朗らかに咲き誇り・・・、2羽の新しいかわせみがやってくるのでした。
この絵本の語り手「わたし」は、マルタンとマルチーヌという、つがいのかわせみを中心に、谷間の自然を、愛情深く実に丹念に見せてくれます。
かわせみ以外の、カエルやかわうそ、さまざまな魚たちも、単なる脇役ではなく、谷間の自然の一員として、生態を丁寧に語って聞かせてくれるのです。
カゲロウの儚く短い一生や、カエルの死骸に群がるザリガニなど、自然のなかで繰り広げられる生存競争や、生命の神秘も余さず。
人間である「わたし」は、谷間の自然を眼差し、探検するものの、自然に決して介入はしません。かわせみの亡骸を土に葬ってあげたくらいです。
「わたし」は、人間の足跡のない美しい谷間を、決して乱さないように気をつけて、寄り添いながら、愛情深く見つめています。
この絵本を読む子どもたちも、きっとこの語り手「わたし」から、自然と向き合う姿勢を、読むことによって学び取るのではないでしょうか。
そして、「わたし」とともに、自然の命の儚さと力づよさ、尊さ、時と命の循環を、感じ取っていくのではないかと思います。
ロジャンコフスキーの明るく澄んだ石版画も、清らかな自然を丹念に見せてくれます。
テクストも、科学的ともいっていいくらい、自然の生態に忠実なものですが、図鑑的な解説めいたものではなく、まるで散文詩のような詩情があり、だからといってセンチメンタルに偏ることもなく、実にバランスのよい文章になっていると思います。
科学と詩と美術が融合した、とても美しい優れた絵本だなと思いました。
ちょっと長めなので、じっくりとひとり読みするのに向いています。
絵とテクストを、しっくり味わって、豊かな詩情に身を委ねながら、生命の神秘と尊さを感じて欲しいなと思いました。
今回ご紹介した絵本は『かわせみのマルタン』
リダ・フォシェ文 フェードル・ロジャンコフスキー絵 石井桃子訳
2003.7.10 童話館出版 でした。
かわせみのマルタン | ||||
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